授業メモ 2002/4/20
「水俣病運動が切り開いた新たな地平を表現するする緒方正人さんの思想について」つるた
「チッソは私であった」という彼の著書から
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・・・私たちの生きている時代は、たとえばお金であったり、産業であったり、便利な
モノであったり、いわば「“豊かさ”に駆り立てられた時代」であるわけですけれど
も、私たち自身の日常的な生活が、すでにもう大きく複雑な仕組みの中にあって、そこ
から抜けようとしてもなかなか抜けられない。まさに水俣病を起こした時代の価値観に
支配されているような気がするわけです。・・・・。
・・・私自身が車を買い求め、・・・・家にはテレビがあり、・・・。チッソのよう
な化学工場が作った材料で作られたモノが、家の中にもたくさんあるわけで
す。・・・。「近代化」とか「豊かさ」を求めたこの社会は、私たち自身でなかったの
か。自らの呪縛を解き、そこからいかに脱して行くのかということが、大きな問いとし
てあるように思います。 49P
わたしが何を話したいかというと、人間が本来持っていました感性ですとか、そうい
うものを現代社会は呑み込んでるんじゃないかということです。現代はまさに人間が解
体されつつある時代です。うまく言えませんが、文明が人間狩りを行っているように感
じてなりません。そこで何が求められているかということですが、わたしが思うには
「生き残る」ということではないかと思うんです。 103P
(これってサブシステンス??つるた)
「緒方さん、どうして認定申請を取り下げて、それ以前の患者運動から抜けたんです
か?」と私は時々聞かれることがあります。一言で言えば、終わりのない道を選んだと
思うのです。これで解決したとか、政治決着したとかいうふうにではない、自分の課題
としてずっと引き受けていくという覚悟の表れであるのです。 157P
以下は立教大学の栗原先生との対話です。
たとえば、運動の最中には海をしみじみ見たことなんてあんまりなかったんです。狂
った年の一年間ぐらい海をしみじみ見て、そのときに初めて水面に映る自分に気づいた
んです。そんなことは小さいときから何百回も何千回もやっているはずなのに、敵と闘
うことだけに目がいってしまって、そんなこと忘れてしまっとった。
いちばん大きいのは、魚も鳥も草木も自分が対話する相手になってしまったですね。
そういう命の中で自分が生かされ生きている。コメだって魚だって野菜だって命がある
わけでしょう。自分はそういう命を殺して食って生きている。そうしなければ生きてい
けない。・・・・・そういう自分とは何なんだという問いを突きつけられるというか。
そうするともう対等な関係になってしまって、エビに話しかけたりカニに話しかけたり
するわけですよ。 179P
いままで運動の中で言ってきた、チッソの責任国家の責任ということは、決しては
ずれているとは思いません。会社の責任、県庁の責任、医学の責任、いろんなものがあ
るけれども、いちばん深いところには、もっと本質的な人間の責任というものがある。
そこにいくんじゃないかなと思うんですよ。 181P
参考文献
「チッソは私であった」 緒方正人 2001年 葦書房
「証言 水俣病」 栗原彬編 岩波新書 2000年
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ぼくが水俣について労働組合の新聞に書いたものは
http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/2000/000800tm.htm
にあります。(もうすぐなくなります)