2002.6.8 伊藤 美幸
フィリピンのバナナ貿易に見る環境破壊
環境破壊は、自然の生態系を無視した人間の行為の結果生じた人災である。なぜ、環境破壊をもたらす人間の行為は行なわれ続けるのか、どのような行為が環境破壊を起しているのか。環境破壊を止めることは、我々にできるのか?それはいかなる方法によってか?このような問題関心から、バナナ村と呼ばれていたフィリピンのバイスで調べ考えたことをもとに、平和学の観点から話したい。
1.2種類のバナナ生産
A.
プランテーション・バナナ(アグリビジネスによるバナナ生産)
生産者は農業労働者で、農薬、防腐剤、ポストハーベスト・アプリケーションを大量に使って作られ、アグリビジネスが生産から輸送まで管理し、消費者は不特定多数
目的 利潤を得ること。資本の回収。
アグリビジネスによる 農園設備・管理・輸送
生産者
消費者
農薬−人体と環境への影響
自然<外的環境>
有益な生物も殺してしまう(有益か有害かを決めているのは人間)。
内分泌撹乱化学物質として、生物への異変。
<生産者の内的環境> <消費者の内的環境>
散布中に農薬を吸い込んだり、 残留農薬による人体への被害
汚染された地下水を飲むことなどによる被害 (生物濃縮により時間差で影響がでる)
「農薬のブーメラン効果」 A国で作られた農薬が、B国の換金作物生産の際に使われ、A国の人々の口に入る。先進工業諸国と第三世界ともに被害をうける。
B.
無農薬バナナ(日本、フィリピン両NGOとフィリピンのPO(民衆組織)による民衆交易のバナナ生産)プランテーション・バナナに抗した、オルターナティブ(Alternative)な挑戦
生産者は農民で、無農薬で生産され、NGOが輸送や販売活動に協力し、消費者はグリーン・コープなどの組合員
目的 生産者がより良い生存機会を得られること。
生産者の「自立」を達成すること。(1日3回食べ物が食べられ、ハイスクール(日本の中高に相当する3年制の学校)に子どもを行かせられ、病気になったとき医者にかかれるなど)
グリーンコープ組合員が安全なバナナを食べられること
NGOによる協力
生産者 消費者
訪問
民衆交易は、それまで農薬漬けが当然だった輸入バナナで、無農薬でつくられ、生産者・消費者の体に、害を与えないという点で画期的なものだった。
だが、民衆交易のバナナを生産した村の一つ、バイス(Sitio Bais)では、この民衆交易は非常に短かい期間しか続かなかった。なぜか?
2.農産物貿易と環境
バイスでのバナナ生産は、単一種の大量生産により環境に過度の負担をかけてしまった。
農業―モノクロップ(単一作物栽培)の脆弱さ
病気・害虫が出た場合、全てがダメージを受ける。
←→アグロフォレストリーなど多様な植生ならば、一つが駄目になっても他のもので補うことが可能。
貿易―物質の移動による環境への影響
貿易という土壌養分の移転による二重の自然破壊
貿易
輸出国の物資、資源の喪失 輸入国の廃棄物による自然破壊
中村修『なぜ経済学は自然を無限ととらえたか』日本経済評論社、1995年、56ページ
≪輸出側≫ ≪輸入側≫
地力の低下 富栄養化による河や海の汚染、生命系の撹乱
(日本の食の豊かさは、他国からの農産物輸出によって成り立っているが、環境破壊の面では背中合わせ)
地力の喪失もある程度量なら自然循環系はその回復力によって、回復可能。だが、バイスの場合はもともと脆弱な環境のうえに、大量のバナナを植えてしまったため、害虫が発生した時、バナナに抵抗力がなく、枯れてしまった。→バイスの交易用のバナナ全滅。
経済優先の考え方
NGOの反省「正直に言おう。私たちはバナナ・プロジェクトを『収入向上プロジェクト』として位置づけてしまった。(中略)私たちは『自立』ということを、たったひとつの『経済的な自立』に限定して考えてしまっていたのではないか。」(堀田正彦『台所からアジアを見よう バナナ』オルタートレードブックレット、1995年、98〜100ページ)
3.なぜ環境破壊が起きたのか?原因としての暴力
【村人を取り巻く社会構造】
・米・干魚などの食費や教育費、医療費の不足
・土地所有制度の不平等、流通・市場の独占
→資源や生産物の配分の不平等(経済格差)+自己決定権の剥奪(権力格差)
→構造的暴力
これらの社会構造のために貴重な現金収入源としてのバナナ生産に特化し、環境破壊を起してしまった。